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戦争当時の標語にぞっとした。 [社会科]

本当に笑えない。ぞっとした。
劇作家の石原燃さんの投稿より。
===以下転載===
台本の資料にと、円城寺あやさんが送ってくださった戦争当時の標語。これだけ並ぶとすごい。笑。いや笑ってる場合じゃないけど。戦争に向かうときは、こういう方向に行くんだということも、いま割とこういう方向だということも、おわかりいただけるんじゃないかと。

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国が第一 私は第二
(日本カレンダー株式会社、昭和16年)

大和心を アジヤへ根分け
(日本カレンダー株式会社、昭和17年)

国に縋(すが)るな 国を負え
(報知新聞社、昭和10年)

日の丸広げて 世界を包め
(大政翼賛会福岡県支部、昭和17年)

みんなで分け合へ 御国の苦労
(日本カレンダー株式会社、昭和16年)

権利は捨てても 義務は捨てるな
(用力社、昭和8年)

働かぬ手に 箸持つな
(中央標語研究会、昭和17年)

米英を 消して明るい 世界地図
(大政翼賛会神戸市支部、昭和18年)

節米は毎日出来る御奉公
(大日本婦人会朝鮮慶北支部・昭和18年)

無職はお国の寄生虫
(日本カレンダー株式会社、昭和17年)

心は忠君 身は肉弾
(中央標語研究会、昭和16年)

任務は重く 命は軽く
(中央標語研究会、昭和16年)

子も馬も 捧げて次は 鉄と銅
(標語報国社、昭和16年)

家憲の一条 公益優先
(日本カレンダー株式会社、昭和16年)

もう一段 暮しを下げて もう一艦
(中央標語研究会、昭和18年)

日の丸胸に 自粛を盾に
(日本工業新聞社、昭和15年)

伸ばせ国力 延ばすな納税
(滋賀県税務研究会、昭和16年)

嬉しいな僕の貯金が弾になる
(大日本婦人会朝鮮慶北支部・昭和18年)

国があっての 命だ金だ
(大分新聞社、昭和16年)

すべてを 戦争へ
(大政翼賛会・毎日・朝日・読売、昭和17年)

やさしい配給 つましい消費
(大政翼賛会神奈川県支部、昭和17年)

これからだ これからだ
(読売新聞社、昭和14年)

改憲討論会~日本に軍隊は必要か?~子どもたちが真剣に論議しました [社会科]

お久しぶりです。
訳あって更新が滞りました。
3学期の山場、「改憲討論会」を行なったので報告します。

12月から日本国憲法前文を暗記を目指してきた子どもたちですが、憲法についてインターネットなどで調査活動を行ううちに「最高だと思った憲法を変えよういう動きがあるらしい」と知りました。

子供たちの意見は第9条を変えるべきかどうかで2分され、討論会を行うことにしました。
司会はぼく。
途中、改憲派(少数)の子どもたちから「先生はどっちなんですか?」と聞かれた。
思いはいっぱいある。だが中立を貫いた。

後半、護憲派の子どもから「日本を守るために軍隊を持つって言うけど、いざというときあなたたちは本当に鉄砲もって戦うの?」という質問が出た。
改憲派の子どもたちは「反対派のみんなまとめて、俺たちが守ってやる」と言い張る。そのうち一人が「自分が戦いたくないからって『軍隊なんていらない!』って言ってるやつらのこと、守る価値なんてなくね?」とつぶやいた。
そこで時間切れになった。

kaiken.jpg
(尖閣諸島の誤字が情けない)

日本は侵略するための軍隊を持たないことで平和を維持してきた。
21世紀は人口爆発、資源問題が深刻化し、国家間の摩擦も増えてくるだろう。
ぼくたちはそれらの問題を軍事力で身を守ることで解決しようとするのか?
それともあくまで話し合いによる解決を目指すのか?

これからの難しい時代を生きる子どもたちには、少なくとも軍事力が本当に必要かどうか自分で考えられる人に育ってほしいと思っている。
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終戦記念日 [社会科]

社会科の学習が終戦の日まで来た。

以前、ツイッターで目にしていた。
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@orangecats とーこ
NHK終わり。終戦、というと経済のH教授を思い出す。「負けた日に記念日というのはおかしいという人もいらっしゃいますが、僕は「日本が戦争をすることをこれで最後とした」記念日だと思っています」と、静かに語る姿に、普段話も聞いてなかった体育科の子達からも、拍手が自然と湧き上がった。
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というつぶやきを見てから、子どもたちにこのことについて話し合ってもらおうと決めていた。

教科書に書かれている「終戦記念日」という言葉を黒板に書いて、「なんか不思議に思うことない?」と聞くと、「なんで敗戦じゃないの?」「なんで負けたのに記念日なの?」と疑問が出された。
自由に話し合ってもらったあと、全体でまとめを行った。
syuusen.jpg

「終わったからだと思う」
「つらい暮らしをしていたから終わりたかったんだと思う」
「やっと自由になって解放された」
「たくさんの死者が出たから、これで死者がでない」
「敗戦っていうと勝つために死んだ人たちに申し訳ないから、終戦って言うんだと思う」
「やっと終わって、もう戦争はしないことにしたんだと思う」
「絶対にしないことに決めたから、戦争はこれで終わりの『終戦』だと思う」
「それで平和になった」
「だれもが安心して暮らせるようになってよかった」

そこでもう一言。
「終わらなかったのは誰のせいだったと思う?」

「当時の指導者だった天皇」
「政治の中心になっていた偉い人たち」
「欲望だと思う。日清戦争で勝って、3億円も儲けたから」
「政治家だけじゃなく、国民も戦争で暮らしがよくなると思っていたと思う」
「誰のせいでもないと思う。当時はそういう時代だったから」

なるほど、これまで学習してきたことを土台にして精一杯に考えている。
誰かのせいにして、「嫌なことがやっと過ぎていった」という意味の終戦記念日だと考えるなら、この先またいつか日本は問題を解決する方法として戦争を選ぶ国になるだろう。
そうではなく、今日の子どもたちのように一人一人が自分の国の進路を決定する責任あるものとして考え、行動することができれば、戦争はきっと避けることができる。

子どもたちがここまで考えられたことが本当にうれしかった。
ぼくが彼らと同じ子どもの頃、ここまで考えることができていただろうか。
理想論と言われるかも知れないが、その理想を実現できる力が私たちにはあるはずだ。
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