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終戦記念日 [社会科]

社会科の学習が終戦の日まで来た。

以前、ツイッターで目にしていた。
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@orangecats とーこ
NHK終わり。終戦、というと経済のH教授を思い出す。「負けた日に記念日というのはおかしいという人もいらっしゃいますが、僕は「日本が戦争をすることをこれで最後とした」記念日だと思っています」と、静かに語る姿に、普段話も聞いてなかった体育科の子達からも、拍手が自然と湧き上がった。
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というつぶやきを見てから、子どもたちにこのことについて話し合ってもらおうと決めていた。

教科書に書かれている「終戦記念日」という言葉を黒板に書いて、「なんか不思議に思うことない?」と聞くと、「なんで敗戦じゃないの?」「なんで負けたのに記念日なの?」と疑問が出された。
自由に話し合ってもらったあと、全体でまとめを行った。
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「終わったからだと思う」
「つらい暮らしをしていたから終わりたかったんだと思う」
「やっと自由になって解放された」
「たくさんの死者が出たから、これで死者がでない」
「敗戦っていうと勝つために死んだ人たちに申し訳ないから、終戦って言うんだと思う」
「やっと終わって、もう戦争はしないことにしたんだと思う」
「絶対にしないことに決めたから、戦争はこれで終わりの『終戦』だと思う」
「それで平和になった」
「だれもが安心して暮らせるようになってよかった」

そこでもう一言。
「終わらなかったのは誰のせいだったと思う?」

「当時の指導者だった天皇」
「政治の中心になっていた偉い人たち」
「欲望だと思う。日清戦争で勝って、3億円も儲けたから」
「政治家だけじゃなく、国民も戦争で暮らしがよくなると思っていたと思う」
「誰のせいでもないと思う。当時はそういう時代だったから」

なるほど、これまで学習してきたことを土台にして精一杯に考えている。
誰かのせいにして、「嫌なことがやっと過ぎていった」という意味の終戦記念日だと考えるなら、この先またいつか日本は問題を解決する方法として戦争を選ぶ国になるだろう。
そうではなく、今日の子どもたちのように一人一人が自分の国の進路を決定する責任あるものとして考え、行動することができれば、戦争はきっと避けることができる。

子どもたちがここまで考えられたことが本当にうれしかった。
ぼくが彼らと同じ子どもの頃、ここまで考えることができていただろうか。
理想論と言われるかも知れないが、その理想を実現できる力が私たちにはあるはずだ。
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