反省を促すための奉仕活動 ~学校周辺の清掃活動を通して子どもたちに感じて欲しかったこと~ [生徒指導]
反省しなければいけない子どもたちと一緒に社会奉仕活動として学校周辺の清掃活動を始めた。
「どうやって償うつもりですか?」
困った表情で黙っているので、
「学校周辺の住民の方々が今、落ち葉に悩んでおられます。学校の周囲にはたくさんの落葉樹があるので少しでもきれいになるように掃除しようと思いますが、手伝いませんか?」
と誘ってみた。
自分たちがやると言ったものの、子どもたちにしてみれば弱みを握られた上で誘われた訳で半ば強制と感じられていても仕方ない。
子どもたちがしでかしたことの半分は日頃指導にあたっているぼくら教師の責任でもある。
ぼくも一緒に取り組みながら子どもたちの安全確保に気を付けながら、様子を伺うことにした。
最初はふてくされた様子だった子どもたちだが、近所のお年寄りにお礼を言われたり、通りかかった車のドライバーが会釈して行ったりするのを見て、少しずつ取り組み方が変わってきた。
自分から進んで「こんにちは!」とあいさつしたり、笑顔で話しかけたりしている。
落ち葉を掃くのには結構力がいる。
落ちたばかりの葉でも周囲のギザギザがアスファルトに引っ掛かり、竹ぼうきに力を込めてグッと掃き出さないとなかなかきれいにならない。
コツを覚えるとだんだん楽しくなってくるのか、競い合うようにして掃き進めるようになった。
昼休みの掃除はほんの5mほど進んだところで時間切れになり、続きは放課後ということになった。
逆方向から掃き進めた子どもたちの集めたごみを取って戻ってくると、先ほど掃いたところにはもう新しい葉が一面に落ちていた。
「こんなのやっても意味ないやん」
「落ち葉無限増殖中~!」
などとおどけていたがそれほど嫌がっている様子もなかった。
放課後、帰りの会が終わってすぐ、ぼくは掃除に取り掛かった。
子どもたちは主任と掃除について少し話した後、自主的に集まってきた。
主任の話では、こっそり上から見ていると、児童玄関から出るや否や自分たちで道具を分担していそいそと移動して行ったとのこと。
その場の雰囲気でちょっとはみ出すことはあっても、性根は優しくまじめな子どたちなのである。
ぼくが100m近くある通路の奥から掃き進めていると、子どもたちが昼に掃いたところからまた作業を始め
た。
そうすると、昼の様子を見ていたらしいおばあさんが出てきて一緒に掃除を始めてくださった。
「私ひとりじゃなかなかできんもんで、本当にすみません」
と謝られ、子どもたちは答えに困っていた。
家の前の公道を掃除しないでいたことに負い目を感じておられるようだった。
毎日大量に落ちる落ち葉でご迷惑をお掛けしていたことを感じ、逆に申し訳なく思った。
そうこうするうちに彼らの友達や、下校中に通りかかった子どもたちが手伝いに来てだんだんにぎやかになってきた。
こうなるともう罰掃除ではなくなる。
みんなで楽しみながら取り組んでいる。
その姿を見ながらぼくも楽しくなってきた。
無心に働くのは楽しい。仲間がいればもっと楽しい。
30分後、すっきり綺麗になった通りを見て子どもたちは
「きれいにできたなぁ」
と満足げだった。
子どもたちなりに達成感を感じてくれたのではないだろうか。
罰を与えるということや反省した姿を現すことより、関ってくれる人がいることを感じさせたかった。
子どもたちが悪ふざけやいたずらではなく、人のために働くことに喜びを感じてくれるようになればと願っている。
「どうやって償うつもりですか?」
困った表情で黙っているので、
「学校周辺の住民の方々が今、落ち葉に悩んでおられます。学校の周囲にはたくさんの落葉樹があるので少しでもきれいになるように掃除しようと思いますが、手伝いませんか?」
と誘ってみた。
自分たちがやると言ったものの、子どもたちにしてみれば弱みを握られた上で誘われた訳で半ば強制と感じられていても仕方ない。
子どもたちがしでかしたことの半分は日頃指導にあたっているぼくら教師の責任でもある。
ぼくも一緒に取り組みながら子どもたちの安全確保に気を付けながら、様子を伺うことにした。
最初はふてくされた様子だった子どもたちだが、近所のお年寄りにお礼を言われたり、通りかかった車のドライバーが会釈して行ったりするのを見て、少しずつ取り組み方が変わってきた。
自分から進んで「こんにちは!」とあいさつしたり、笑顔で話しかけたりしている。
落ち葉を掃くのには結構力がいる。
落ちたばかりの葉でも周囲のギザギザがアスファルトに引っ掛かり、竹ぼうきに力を込めてグッと掃き出さないとなかなかきれいにならない。
コツを覚えるとだんだん楽しくなってくるのか、競い合うようにして掃き進めるようになった。
昼休みの掃除はほんの5mほど進んだところで時間切れになり、続きは放課後ということになった。
逆方向から掃き進めた子どもたちの集めたごみを取って戻ってくると、先ほど掃いたところにはもう新しい葉が一面に落ちていた。
「こんなのやっても意味ないやん」
「落ち葉無限増殖中~!」
などとおどけていたがそれほど嫌がっている様子もなかった。
放課後、帰りの会が終わってすぐ、ぼくは掃除に取り掛かった。
子どもたちは主任と掃除について少し話した後、自主的に集まってきた。
主任の話では、こっそり上から見ていると、児童玄関から出るや否や自分たちで道具を分担していそいそと移動して行ったとのこと。
その場の雰囲気でちょっとはみ出すことはあっても、性根は優しくまじめな子どたちなのである。
ぼくが100m近くある通路の奥から掃き進めていると、子どもたちが昼に掃いたところからまた作業を始め
た。
そうすると、昼の様子を見ていたらしいおばあさんが出てきて一緒に掃除を始めてくださった。
「私ひとりじゃなかなかできんもんで、本当にすみません」
と謝られ、子どもたちは答えに困っていた。
家の前の公道を掃除しないでいたことに負い目を感じておられるようだった。
毎日大量に落ちる落ち葉でご迷惑をお掛けしていたことを感じ、逆に申し訳なく思った。
そうこうするうちに彼らの友達や、下校中に通りかかった子どもたちが手伝いに来てだんだんにぎやかになってきた。
こうなるともう罰掃除ではなくなる。
みんなで楽しみながら取り組んでいる。
その姿を見ながらぼくも楽しくなってきた。
無心に働くのは楽しい。仲間がいればもっと楽しい。
30分後、すっきり綺麗になった通りを見て子どもたちは
「きれいにできたなぁ」
と満足げだった。
子どもたちなりに達成感を感じてくれたのではないだろうか。
罰を与えるということや反省した姿を現すことより、関ってくれる人がいることを感じさせたかった。
子どもたちが悪ふざけやいたずらではなく、人のために働くことに喜びを感じてくれるようになればと願っている。
うれしい姿ですね
by ハマコウ (2012-11-23 18:59)