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清らかな心を保とうとする心を育む「青の洞門」 子どもたちが問いを立てる授業の実験 [道徳]

「青の洞門」を読んだ。

板書を見ればわかるが、ぼくの授業では必ず最初に登場人物を確認して話の筋を押さえる。
これは答えの決まっている質問をすることで子どもたちに安心して答えられる雰囲気にすることを目的としている。
毎回、ちょっとはずれたような意見が出てくるが、それも認めて軽く笑いが出るぐらいがいいと感じている。
こんな風にワイワイガヤガヤと道徳の授業をやり始めてから1年がたった。

子どもたちもだいたい授業の流れもわかってきているので、ぼくの範読の後、今回は子どもたちから中心発問を募ってみた。横山先生には叱られそうだが、クラス全体の話し合いでは深められるようになってきた。そんな子どもたちが自分で問いを立てられるようになれば、どんな文章からでも、いや、もしかしたらどんな体験からも道徳的な学びを得ることができるのではないかと考えたからである。

「今日はみんなで何を話し合いたいか決めてみよっか!」
というといくつかの問いが出てきた。

・実之助がやっと了海を見つけた時、どう思っただろう。
・夜忍び込んだとき、どうして殺せなかったか。
○手を取ったとき、どんなことを思ったのだろうか。

子どもたちはちゃんと道徳上の問題が起きたところを問題として取り上げている。
すごい。正直すごいと思った。少なくともぼくのレベルは超えている。
一番最後の場面を中心発問にして順番に話し合っていくことにした。
話し合いの流れは板書を見てもらえばだいたいわかると思う。
aonodoumon.jpg

途中、了海を殺さなかったのは「めんどくさいから」という発言がある。
ぼくはズレた発言でもそのまま受け入れる。
そうすると子どもたちはズレを戻そうとするかのように活発に発言をする。
ぼくは子どもたちの授業をつくる力を信じている。

中心発問では、
・二人で一緒に途方もない仕事をやり抜いたという感動と共感
・了海はすでに21年も村人たちのために働き続け、罪を償っている
・人を殺すということは、了海のように一生背負っていかなければならないこと
・了海のようになりたくないと思っている
など、活発に意見が交わされたが、
・父は殺してほしいとは思っていない
から、死んだ父の実之助の幸せを願う気持ちにまで考えを進める子どもたちの姿に感動した。

ぼくのような下手くそでも毎週1時間の道徳の時間をきちんと行うこと。
それができれば、子どもたちは自分たちでも問いを立てて、学びを得ることができるようになるのだと確信した。
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goringo

こんばんは、北海道の小学校教師です。
5年も前の記事にコメントを書かせていただきますことをお許し下さい。
ヤフーで「青の洞門」と検索したらこちらが出てきたので、拝見しました。

「ぼくはズレた発言でもそのまま受け入れる。
そうすると子どもたちはズレを戻そうとするかのように活発に発言をする。
ぼくは子どもたちの授業をつくる力を信じている。」

ここに強い衝撃を受けました。
先生が信じて待ってあげること。
そうすることで、子どもたちは力を発揮するのですね。
いま受け持っている3年生は脱線しっぱなしになってしまうこともあるのですが、それも積み上げが解決してくれるのでしょうか。

とても大きな勇気をいただきました。ありがとうございました。
by goringo (2015-01-14 19:11) 

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