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音楽的素養のない教師の合奏・合唱指導~「できなかった」「やらなかった」苦い思い出を子どもたちに刻まないために~ [学級経営]

学習発表会が終わった。

高岡市では5年生の区域音楽会があり、演目は合奏・合唱と決まっている。

ぼくは音楽的素養が全くないので(カラオケは好きだけど)、指揮は主任にお任せし、照明係の指導と写真係で、自分の学年にはあまり関れなかった。でも、演奏中の子どもたちの写真はあっという間に300枚を超えていた。みんな最高の表情をして歌い、演奏していた。子どもたちの一生懸命な姿に危うく涙を流すところだった。

ぼくは決定的にリズム感が欠けており、指揮には全く向いていない。
全体を把握し、出番に合わせてそれぞれのパートに指示を出すとか全く無理。

それでも指導はしなければならない。小学校教師としての宿命である。
小学校教師は「なんでも」できなければならない。
できないことはできるようにならなければならない。

これはそう決まっているわけではない。ぼくが自分に課している義務だ。
でも、多くの小学校教師はそう感じているはずだと思っている。

楽器をまじめにやったことがないのでぼくは楽譜を見て音楽が浮かばない。
だから、PCに全てのパートを打ち込んで演奏させたものを覚える。
CDに焼いたものを行き帰りの車の中で聞き続け、とにかく覚える。

そして、パート練習の鬼になる。
ハーモニーは合ってるかどうか見分けられないが、1つのパートならぼくでも指導できる。

できない子は一人ずつ取り出して、一小節ずつ練習すれば必ずできる。
どれだけ早く詰まっている子を発見できるか。
軽傷の内にどれだけケアできるかが勝負だ。

できるようになれば自信がつく。自信がつけば楽しくなる。一緒に口ずさめるようになればしめたものだ。

階名唱もとても有効な練習方法だと分かった。
ドレミで歌えば音程と一緒に指使いも覚えることができる。
これを積極的に取り入れることでできないまま取り残される子をかなり減らすことができる。

大事なのは「やればできる」って言うことを教師がまず本気で信じること、そして本気で指導すること。
「できなかった」「やらなかった」思い出を子どもたちに残してはいけない。

子どもの頃のぼくはそういう経験で一杯だ。
それが今日までのこの音楽苦手教師の始まりなのだ。
そういう不幸な人間を二度と作ってはならない。
これはぼくの戦いでもある。

最初から「みんなで全力で取り組んで、100%やり切った気持ちで清々しく終ろうぜ!」ってゴールを設定する。

そして、それに向かってみんなで取り組む。
今日はそれが達成できたような気がした。
でも、子どもたちはまだまだ不満足な様子だった。
「まだまだやれた」
子どもたちはそう感じているようだ。

10日後の区域音楽会まで、休み時間も一人ずつ取り出してさらに追い込んでいく。
やり切った気持ちで完全燃焼させてやりたい。
そしてみんなでバンザイするのだ。
子どもたちが完全燃焼するためには教師も完全燃焼しなければならない。
やり残しの無いように、毎日全力投球で行く。
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