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教師になったわけ~自分がやり残したことを子どもたちにやり残させない。無気力集団からの脱出~ [特別活動]

自分がどうして教師になったか?
教師集団の中にいるとそれを語らない教師が多いことに驚く。
無理に尋ねたとしたら、
「学校が好きだから」「いい先生に出会ったから」
といった答えがほとんどなのではないだろうか?
結局、学校という仕組みに適応し、優等生として過ごした子どもたちが、
自分たちのよかった思い出を子どもたちと共有するために戻ってきているというのが実態なのかもしれない。

そのことは全く否定しない。
より良い姿を目指して考え、新しい実践が行われていくのであれば、悪いことではないと思う。
ぼく自身も概ね優等生であったと記憶しているし、過剰なほど適応していた子どもの一人だったと思う。
(周りからみてどうだったかは、ぼくには知るすべがないので、
ぼくの学生時代を知っている方が読まれて違和感があった場合はコメント欄にでも書き込んでほしい。)

自分自身、ずっと覚えているやりとりがあって、それは、
ぼく「おかあちゃん。オレ、都会嫌や。将来、田舎で暮らしたいときはどんな職業についたらええ?」
母「そうやなぁ。公務員になりぃ。警察官とか、学校の先生やったらどこ行っても仕事あるでぇ。」
ぼく「ほんなら先生になるわ。走るのは得意やけど、ケンカ苦手やから泥棒は捕まえられへんし。」
という小学校4年生ごろものだ。

ぼくはずっとこれが原点だと思い続けてきて、教師になった理由をいうときは冗談めかしてそう話してきた。
でも、今年の卒業式をみて、「この卒業生の中に自分がいられたら?」と、思ったことで気づいてしまった。

大阪のはずれの京都に近い山で生まれ育ったぼくは、小学校時代、家庭の事情で繰り返し引っ越しを繰り返していた。
ちょうど、豊中市という伊丹空港の近くの学校に通っていたときの会話だが、ごみごみした都会の雰囲気になじめなくて悩んでいたのだった。
その後も、引っ越しをすることになるのだが、結局、小学校時代は友達らしい友達もできないままだったような気がする。

いじめもあった。仲間の万引きを止められなかった。友達や教師の愚痴ばかりで、ちょっとでも目立つやつがいるとやっかむ仲間に何も言えなかった。
やり残したことばかりの小中学校生活だった。

どうして仲間に自分の思いを伝えられなかったのか?
自分が行動すれば、みんながもっとましな学校生活を送ることができたんじゃないのか?
行動できない自分をいつも悔しく、情けなく思っていた。
それこそが自分が教師を目指した原点だと思い出した。

だから、ぼくは子どもたちに「自分たちで自分のいる集団をより良くする経験」を積ませたいと思う。
正しいと思うことを正しいと言えて、それを実行する力を身に付けてほしいと思う。
できなくて悔しかった自分だが、自分の悔しさを子どもたちには味わわせない。
めんどうを避けるために無気力・無関心の仮面を被るような大人には絶対にさせたくないから。

そのためには一人一人ではだめだ。
集団を育てる。集団を中学校に上げる。

今の子どもたちを変えることで、10年後の大人を変える。
一人一人をより良くすることは、日本を、そして世界をより良くすることにつながる。
今はそんな風に考えている。
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